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しばし沈黙が続いた。
その時。
「なるべく早く鍵の交換をしましょう。一ノ瀬さん、明日はご自宅にいらっしゃいますか?」
その沈黙を破ったのは、榎本さんだった。
紗英は小さく頷いて、『はい、大丈夫です。よろしくお願いします』と、頭を下げた。
榎本さんは防犯のプロだし、彼に任せておけば、絶対に大丈夫だろう。
なのに、私はまだ何の役にも立っていない。
「青砥さん」
「あ…、はい。なんですか?」
「実は、青砥さんにお願いしたい事があるんです」
絶妙なタイミングで、榎本が声を掛けてきた。
もしかして、私の心の声がダダ漏れてた?
思わずキョロキョロしてしまう。
「どんなお願いですか?」
「大家さんに話しをして欲しいんです。鍵の交換には許可が必要なので」
「分かりました。すぐに連絡を取って行ってみます」
早速、携帯を取り出したところで、再び榎本に呼び止められる。
「僕も、一緒に行ってもいいですか?」
「それは全然構いませんけど…」
私の返事を聞き終わる前に、榎本さんは帰り支度を始めていた。
話しは最後まで聞いてよ!
あまりの切り替えの早さに、少しムッとして唇を尖らせる。
「一ノ瀬さんにもお願いがあるんですけど、いいですか?」
鞄とジャンパーを脇に抱えた榎本は、テーブルに置かれたままになっていた、ボールペン型の盗聴器を手にした。
「これ、お借りしてもいいですか?」
「はい、どうぞ。元々、私のものじゃないんで」
「え?紗英のボールペンじゃないの?」
彼女のものだと思っていた私は、当然のごとく訊ねた。
「ううん…。何時だったか忘れたけど、手紙を書こうとしてペン立てを見たら、それが入ってたの。買った覚えもないし、もしかしたら引っ越しの時に、間違って家から持ってきちゃったのかな…?」
「引っ越し…」
榎本がボソッと呟いた。
その呟きは私の耳にも届いていた。
後ろを振り返れば、何やら真剣に考え込む彼の姿があった。
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