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「お待たせしました」
電話を終えた僕は、ポケットに携帯をしまうと、玄関のドアを開けて彼女の部屋へと戻った。
「いえ、ちょうどお湯が沸いたところです。榎本さんはコーヒーと紅茶、どちらにしますか?」
「それじゃあ‥コーヒーをお願いします」
「分かりました」
いつもと違う感じに、どうして良いものか分からず、テーブルのある一点を見つめたまま固まってしまった。
しばらくすると、キッチンのほうから淹れたての、香ばしいコーヒーの香りが漂ってくる。
「お待たせしました」
トレイにコーヒーカップと、ピッチャー、シュガーポットを乗せて彼女がやってきた。
そっと目の前にコーヒーカップが置かれる。
「ミルクとお砂糖も持ってきたんで、良かったら使って下さいね」
「ありがとうございます」
コーヒーといえば、会社の倉庫で1人で飲む、インスタントコーヒーが僕の定番だった。
他人が淹れてくれたコーヒーを飲む機会なんて、そう滅多にはない。
テーブルの上には、小皿とフォークが並べられ、彼女が最後に持ってきたのは白い箱だった。
「榎本さんが、今日来るって言ってたんで、ケーキを買いに行ってたんです。そこで、バッタリと会っちゃいましたけどね」
「それで、あの場所に…?」
彼女は、ゆっくり頷いて笑った。
「お世話になるだけなって、何もお礼してないなぁって…。色々考えたんですけど、私に出来る事が思い浮かばなかったんです。それで、美味しいケーキでも食べて貰えたらいいなぁ、って思ったんです」
僕はただ、いつものように仕事をしただけなのに、まさか、お礼をされるなんて思ってもいなかった。
「甘いものは苦手でしたか?」と、彼女が聞いてきたので、慌てて「いいえ」と答える。
「良かった」と微笑む彼女に、正直、僕は戸惑った。
こういう時に青砥がいたら、なんて突っ込まれるのだろう。
いや、突っ込まれてもいいから、女性が喜びそうな話題を訊きたかった。
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