相撲という日本の在り様

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 相撲には幾つかの源流があると言われ宮相撲や節相撲など信仰と深く結びついたものと、野相撲という民間相撲などで奈良平安時代の律令制と密接な関係もある。  天皇制を敷こうと考えた皇族らは、当時日本にあったあらゆるそれらの祭的なものを一旦中央に集め、今まであった祭的なことを禁止する。その代わりに天皇制を敷いたわけだ。ただ皇族らはただそれらを破棄することなく、善きところを寄せ集め古事記なり日本書記にそれらを天皇制に合うよう神話を作り上げた。  天皇制による日本の統治はあまりに上手く行く。平安時代は日本の歴史上一番長い時代であったが、それが故中央は腐敗し、各地で暴動が起き、武士中心の鎌倉時代に突入するわけだが、このとき中央に集められ洗練された文化が地方へ流出する。  平安中期から末期にかけ、農村民衆的な勢力がのし上がってくる背景に“相撲”があった。その力くらべ的なことや立ち振る舞いを吸収し武士社会が成熟したのだ。  ちなみに横綱の起源は諸説だが、しめ繩としての綱を締め、土地の下にこもる邪悪な精霊としてのシコ(醜)を踏み付ける所作を特に許された強剛力士が横綱。しこを踏むとは“しこのみ楯”からきており、シコ(醜)を踏み付け地鎮め、国土安穏の祈念をするのが横綱の土俵入りである。 …ずいぶん前置きが長くなったが、本来相撲とはそのような政(まつりごと)であり、それを治めるから“政治”。政治とは資質であり資格を問われる必要があり、昨今の政治家や官僚らにその資質と資格はないと思う。 日本とは世界で最も暮らし難い土地で、台風があり乾期があり大雪があり、火山国であり地震がある。そして国土に平野が少なく南北に長い国で、日本各地で困難がバラバラであるが故、習慣も決まり事も土地により違う。相撲もそうであり、また地域主権が確立していた。東北に主権とかつての侍文化を生み出した相撲の意味を今日考えてみたい。
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