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状況を理解できない私を尻目に、マスターは自分のカップにも同じコーヒーを注ぎ、一口飲んでマズイとつぶやいた。 「あぁ、こりゃあ確かにおいしくないですね。一歩間違えばその辺のインスタントコーヒーといい勝負だ」 「は、はぁ」 結局のところマスターの本意がわからない私は、狐につままれたような呆けた顔をしていたに違いない。 「僕はね、りおさん」 一口しか飲まなかったカップをテーブルの上に戻し、マスターはニコニコと笑いながら呆けた私に話を始めた。 「一から店をやり直したいなんて思いながら、やっぱり怖かったんです。今の状態のまま、ズルズルと生きていければいいじゃないかと何度も何度も考えました。正直、今のままでも食べていくことはできる訳ですから」 それはまるで、彼に会うまでの私と同じ心境だ。 彼を引きずったまま生きていく選択もできたけど、気持ちを新たに次のステップに進むためには、私にはどうしても彼との思い出を清算する必要があったから。 今の私には、マスターのその気持ちが痛いほどよくわかった。 「だから僕は、踏ん切りをつけるためにひとつの『賭け』を考えたんです。一から出直すに相応しいお客様を迎えた時、その『賭け』をして…、僕が勝ったら、その時こそリスタートしよう、とね」 マスターは立ったまま、カウンターの椅子に座る私を優しく見下ろし、『賭け』の説明をしてくれた。 「もし今、りおさんが、このデタラメにブレンドしたコーヒーを飲んで『おいしい』なんて無難に答えるような人だったら…、僕の負けだったんですよ、この賭けは」 「で、でもマスター、どうして私がその賭けを…?一から出直すに相応しいお客様に、その賭けをするつもりだったんでしょう?」 「だから、それがあなただったんですよ、りおさん。僕はここ数日、ずっとメモ帳で来客数をチェックしながら…、この店をオープンしてから今までの累計来客数がね、ある数字になるのを待ってたんです」 マスターはいつも持っているメモ帳を胸ポケットからちらつかせ、 私に、こう告げた。 「一から出直すのに相応しい数字…。りおさん、あなたはね、この店の『11111』人目のお客様なんです」 マスターは微笑んだ。 これ以上ないぐらいの笑顔で。 「記念すべき人が、あなたのような素敵な方でよかった」 そう言って、また微笑んだ。
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