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「いえ、そういうわけじゃ、ないんですけど…」 観光かと聞かれたのだから、無難に「はい、そうです」とでも答えておけばいいものを―…、 なぜか私は、律儀に否定してしまった。 カウンターの向こうから溢れてくるコーヒー豆の香りが、私の鼻腔を刺激する。 寸分の違いもなく棚に並べられたコーヒーカップや調味料の類いがマスターの几帳面さを表しているようだった。 几帳面な男は嫌いではない。 ただ少し、その細やかさが窮屈に感じてしまう時がある。 出て行った彼がそうだった。 「ホットでいいですよね?」 彼の横顔を思い出そうとした瞬間、マスターの明るい声によってその回想は遮られた。 アイスコーヒーを頼もうとしていた私の、少し驚いた顔を見つめながらマスターは、 「ホットのほうがね、自信あるんです」 そう言って軽やかに笑った。 「で、いろいろメニューもあるんですけど…、オリジナルブレンドでいいですよね?なぜかと言うと…」 「自信があるから、ですか?」 「その通り」 あくまで自然体で微笑むマスターの笑顔に、つい私の顔もほころんでしまう。 「じゃあ、それで」 「かしこまりました」 わざとらしく頭を深々と下げるその仕草を見ながら、何となく、このマスターと私は馬が合いそうな気がした。 訛りのなさから京都の人間ではないことはわかるが、なぜここで喫茶店など営んでいるのだろう。 見たところ、繁盛している様子もないが―…。 「お待たせしました。ブラックでよかったですかね?」 やがて目の前に置かれたブレンドコーヒーを一口飲んで、私は思わず目を見張った。 おいしい。 しっかりと深い苦みを残しつつもすっきりしていて飲みやすい。 コーヒーには詳しくないが、少なくとも、今まで飲んできたコーヒーとは違う絶妙な味わいだった。 「いかがです?」 そう問うマスターの顔は、まるでいたずらが成功した時の少年のようにキラキラと輝いていた。
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