第壱章 雷落とし

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 そして今、“彼女”が視えるこの時も。  私にはストレスでしかない。 「……」  私は何も言わず、何も言えずゆっくりと糸括へ歩み寄る。  噂通り、女の幽霊がぶら下がっているその桜の木へ。  木の中部、特に太い枝に荒縄が縛り付けており、その先には、逆さまに吊られている襤褸(ボロ)を着た女。近くに掴める様な枝は無い、まさに宙ぶらりんりん。  顔は何かで殴られた様な痕が幾つもあって、ひしゃげ、原形を止めていない。目からは血の涙が流れている。その涙は下にどんどん落ちていって、下に血溜まりを形成していた。  気付かれないよう、ゆっくり、ゆっくりと幹へ近付く。手汗が酷い。御札が湿ってしまう。  ――これを貼れば、大丈夫。この人はきっと、成仏してくれる。  自分に言い聞かせ、蒲公英(タンポポ)、蓬(ヨモギ)、そして桜の花弁が広げられた春の絨毯を踏み締る。一歩、また一歩と。  怖い。  凄く怖い。  元々、勇猛果敢でもないのだ。こんなのはしなければ良かった。でも、一度決めた事は曲げたくなかったのも本当。それに、ちゃんと成仏させた方が私と彼女、両方の為。一石二鳥だ。だから、こうした方がいいと分かってる。分かってるけど――怖いものは怖い。  歩みが少しずつ小さくなるのが自覚出来る。  やっぱり、私じゃ無理なのかな。  ――そう思った、その時だった。 「仏説摩訶波羅蜜多心経」
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