第壱章 雷落とし

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 ――一瞬。  いや、一瞬とも呼べない本当に短い時間だった。それでも、彼は読経を止め――目だけを、此方へ向けた。  ばっちり、目線が合う。  瞬間、矢で射抜かれる鳥の気持ちがよく分かった。死んだ様な錯覚、目の前が暗くなる。でもそれはコンマ五秒の事で、すぐに視界は元に戻った。  でも、恐怖はない。  彼から感じるのは――只の威圧感だ。  押し潰されそうな、圧力。しかし、ただ圧されてるだけ。真空中にいるかの様な――。  不思議、不可思議、摩訶不思議。  彼は一体、何者なんだ? 「…………う、うぅ」  小さな呻き声が唐突に聞こえた。と同時にハッと私は我に帰る。  忘れていた――彼女の事を!  顔を桜へ戻す。相も変わらず、綺麗な薄桃の花弁の中に、醜い幽霊がいた。  只、先程と違うのは――荒縄がない。彼女を縛りつけると同時に“抑制”及び“制御”を成していたあの荒縄!  今では、そこはかとない優美さをも醸し出して、悠然と、彼女が糸括の枝の上に立っていた。しゃんと伸びた背筋、揃えられた足。生前の姿は、さぞかし美人だっただろう。そう自然に思わせる佇まい。  だが、見惚れている暇はないのだ。  今や彼女は――襲うも呪うも自由な状態。  顔は真っ直ぐ、私を向いている。目があったらきっと視線は絡み合っていた。  逃げたい。なのに、金縛りにあったかの如く、体が動かない。
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