第壱章 雷落とし

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 春、大安。  町内の梁上(ハリカミ)神社の御神籤が大吉だったこの善き日に、私は御札を手にして、とても大きな桜の木にいた。  ビル三階分の高さはあろう糸括(イトククリ)――《倒桜(サカサマザクラ)》と言われる樹齢四百七十年の老桜。淡い桃色の花弁が美しく咲き誇る桜は、地元では知らぬ者はいないであろう噂を抱えていた。  ――出る。  何が? って、決まっている。  幽霊だ。  これは人伝いに聞いた話なのだが――四百年前、この糸括の下で、ある一人の女が殺された。原因は、奉公先の若旦那と許されない関係となった事。それを若旦那の妻が知り、憎しみのあまり女を殺した。  それだけでは飽きたらず、女が死んだ後、桜に逆さ吊りにして何度もその体を痛めつけた。以後、糸括――転じて《倒桜》の傍を通る者は、どんな者でも呪われる――らしい。  実際に「桜の木に寄り掛かっていたら、太い枝が突然折れ落ちて怪我をしました!」とか「桜を伐ろうとした所、機材を運んできた社員が一人、事故で死亡してしまいました」とか「この桜の下で告白したらフラれました!」(これは関係あるのか?)とか、色々な方面から、様々な不幸な話が浮上している為、その噂は絶える事を知らなかった。  幽霊は勿論、女。 『有りがちだね。噂されるに相応しい怪談だよ、お誂え向きって感じ。何番煎じなんだろう? それ。伐れないのなら燃やせばいいじゃん』――  まあ、普通だったら私は、そんな風に受け流していただろう。  “普通だったら”。  ――普通じゃないから困るんだよなあ、もう。
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