プロローグ

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 何年かぶりに降る雪の中で、私だけが乗る電車は進んでいく。あっちでもない、こっちでもないとぐらぐら揺れながら、それでもゆっくりと前に。5年前の私のように。  5年。と私は心の中で繰り返した。今の私は21歳で、これから実家に帰るところ。あの時の私は16歳で、シュリの為になら何だって出来るという一種の全能感に満ち溢れていたころ。  窓の外では、見慣れた風景が白く染まっていた。かつて私が通っていた高校と、そのグランドに建てられたドームのようなテント。その隣に佇むのは真っ白いダッフルコートを着た15メートルの巨人、シュリ。  似合わない、というのが素直な気持ちだった。シュリもこの町も、一番輝いていたのは夏だ。しんしんと白く染まり静かな新年を迎えるよりも、セミがけたたましく鳴き散らしている方が似合っている。  そして思い出すのは、5年前の夏に起こったあの出来事だ。今の私を構成する大きな1つの事件。それは巨大化してしまったシュリの事で、父さんと私の事でもあって――という事は姉さんにも関係することで――忘れてはならない、大袈裟なあいつの事。  ゼミの同級生の名前はいまだに覚えられない輩がいる一方で、5年前のその事は手に取るように思い出せる。あの時流した汗の味や、鳴りやまなかったセミの声、私に触れたシュリの手の柔らかさ。人生で最も苦痛だったあの暗闇と、きらきらと輝いていた水面。祭りの日の屋上の静けさと5.1カエルサラウンド。今の私を作った、黄太のあの言葉。私はまるでカメラになったみたいにそれらを容再現することが出来て、時々自分がどこにいるのか分からなくなってしまいそうになる。  そんな時私は、聞こえるはずもないのに、大好きな人の名前を無性に呟いてみたくなるのだ。5年前とは明確に変わった私の声が、今ここにいる私を認識させてくれる。 「もうすぐ着くから」  電車がスピードを緩める。もうすぐ駅に着くんだ。そう思うと「どきん」と胸が震えた。もうすぐ、もうすぐ――壊れたおもちゃみたいに、何度も心の中でそう呟く私がいた。
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