幽歩山道

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今からもう、三百年ほど前の話になる。 ある村に、寛治という若者がいたらしい。 正直で清純な人柄だと、村では評判の高い若者だったという。 この村は、数年前に全国的な飢饉に襲われた。寛治の両親と一人の弟は、それによって命を落とした。 一人残された寛治は、三人分の墓を造り、丁寧に供養した。 四千人近くの村人も今では半分、いや、半分にも満たないだろう。 唯一生きている彼は、水と雑草しかない状況の中で、よく生き延びることができたと、自分でも不思議に思うほどだった。 出歩く人は、滅多に見ない。他の村人は、何をしているのだろうか。 山の中にある一つの集落。ろくな通信手段もない。 山によって周囲との関係が絶たれたこの村には、唯一山の向こうの隣の村と繋がる、一本の道があった。 飢饉に襲われたとき、その道を通って隣村へ助けを求めた人々もいたが、帰って来る者は誰一人としていなかった。 彼らの行方について知る者は、一人もいない。 ある人は、今も隣村に住んでいるのだと言い、ある人は、物の怪(もののけ)に喰われたのだと言う。 本当を知る者はいない。 また、知ろうとする者もいない。 貧困に苦しむ毎日、出て行った人々のことなど気にする余裕が無いというのが、当時であった。 飢饉が過ぎても、人々の表情は失われていた。 大きな飢饉は、人々の食物はおろか、彼らの命、心、表情までも奪った。 しかし寛治は以前と変わらなかった。 村のために畑を耕して暮らしている。 そんな彼を見て、村人達は思った。 彼を他の村に行かせてはどうだろうか、と。 あんなに良い性格は、なかなかいない。加えて、大飢饉の後にも関わらず明るく振る舞う姿は、きっと人々に勇気も気力も与えてくれるだろう。老人ばかりのこの村も、いつ廃れるか分からない。それなら、他の村に行って、希望を与えてくれ。そして村に活気を与え、昔のこの村のような元気を取り戻してきてくれ、と。 小さな広場で行われた会議。寛治も含めた村人数十名。 寛治を送り出すという案は、本人の承諾もあって成立した。
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