家族の条件②

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治天の母君。 以降、戦国・安土桃山・江戸・明治・大正・昭和・平成と至る今現在の日本国史上、皇族ではない出生の者が我が国の国主となった例は空前絶後である。 男性でも無比であるのに、原初に最高神の太陽とされた女性をたった一度だけ君主にした我が国。 国母。皇太尼・准皇母寧子。 推古女帝や持統女帝の後も、長く江戸時代の後桜町女帝など内親王が皇位を襲った事は有る。 ただし、母が天皇でも皇位継承権は認められない。 貴族たちが官位は父・財産は母とされていた因習が残り、あくまで皇位は父系。 内親王や女王が天皇になっても、血統は男系。 そんな中で、日本史上、ただ一人だけ皇女ではない女性が“治天の君”として国主に立った事が有る。 国母として事実上の治天の君(国王)の座に就き、天皇家の家督者として君臨した。 女性で治天の君となったのも、皇室に出自せず治天の君となったのも、日本史上で広義門院寧子尼太后が西暦2012年現在では唯一である。 広義門院 寧子姫。 広大院 寧々大尼。 そして、安養院(あんにょういん)政子。 鎌倉幕府初代頼朝将軍公の正室で、鎌倉に武家政権を樹立すると御台所と呼ばれる。 夫の死後に落飾して尼御台(あまみだい)と呼ばれた。 頼朝公亡きあと征夷大将軍となった嫡男・頼家、次男・実朝が相次いで暗殺された後は、傀儡将軍として京から招いた幼い藤原頼経の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。 本庄家が富岡家を立てたのは、鎌倉時代。 尼将軍の権勢が全国に轟いている時代だった。 殺生を生業とする大名家に、御霊を鎮める巫女の才を持つ娘が必ず一世代に一人は生まれる清めの血筋。 その後も続く流血の戦国時代も、富岡は清浄の巫女を輩出し続けた。 女を立てる為の男の家。 それが、神職家系と認められた富岡家の創設意義だった。 その富岡家の終焉を、主家の千景巫女主と最後の末裔の祐太郎が結着させようとしていた。 それからのしばらくは、祐太郎の記憶は飛ぶ。 なので、これからしばらくは杉浦靖・明美夫妻や四葉のクローバー、美佐や兄弟子の方たちの話を中心に構成させていただく部分が少しだけ入ります。 あと、ボクのショボショボな探知も駆使します。 杉浦家最高霊格の貎下さまの浄化の洗礼を受けたことまでで、祐太郎の記憶は一旦途切れている。 さぁ。 再び、物語を始めよう…。
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