逆初七日

2/97
前へ
/97ページ
次へ
1.  鉛色の垂れ込める雲から滴る仄かな春雨が男の頬をぽつぽつと叩き始める。  男は頬を地べたに擦り付けるようにうつ伏せ、ベタっとだらしない顔で半開きの口元から涎を垂れ流す。痙攣ともとれる強張った顔は既に血の気が引き、生気を失いかけている。  遠ざかる意識、生死の狭間で芋虫のように男の躰はもぞもぞと地を這い、死に抵抗し、藻掻いていた。その場から起き上がることさえも阻止され、もうどうする事も出来ずにいた。  うつ伏せた男の虚ろな目に映る狭い視界には雨に濡れた黒いアスファルトが大部分を占領している。残された僅かな視界には薄汚れたガードレール、それを支える雨露や泥で汚れたポールの足元に雑草が風に拭き晒されている。その先には青葉に降りかかる雨で煙るのか、意識の薄れか、遠く先の山並みが雨景色でぼんやりとしている。  車も人も行き交う事ほとんどない山沿いの道路で自動車事故を起こし、地べたに叩き付けられた衝撃で車は見るも無残に大破してしまった。車は転地をひっくり返し、狭い道路の真ん中を塞ぎで通行を遮っている。辺りにガソリンの匂いが漂う。ここで何か火の気で引火でもすれば、爆発を起こし、車もろとも男も一緒に焼死してしまう。  男は衝撃で潰れて歪んだ運転席側のドアを押し開けることなど到底出来なかったが、辺り一面に粉々に砕けた散ったガラスのお陰で幸いにも逃げ場を確保でき、隙間から辛うじて這い出た。必死に這い出たものの、息衝きうつ伏せたままの躰は痺れ、手足の感覚がない。それはどの程度身体へのダメージを与えたのか判らないが、この様だとかなり良くない。今はなす術も無くただ藻掻くだけだ。  雨足が一段と増したようだ。パタパタとアスファルトを叩きつけ、膨らんだ雨粒は透明な躍動ある硝子片となり、粉々となり突き刺さるように四方へ飛び散るように爆ぜている。砕けたガラス、至る所に大小の砂利と木の枝や葉が散らばり道路を黒く埋め尽くす。更に視界を遮るように降り始めた雨粒が男の顔へ跳ねると目をしばたかせ、見るもの全ての視界を遮ろうとしている。  ――あれは確か、ハンドル……、握っていたような感触……。意識的に思考を働かせ記憶を探り始める。そうすれば生き長らえるのではと、ふと脳裏を掠めるが、そこから思い出せない。又、湧き出るようにハンドル……、フロントガラスに映し出される歪む映像。繰り返しその瞬間だけが思い浮かぶ。
/97ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加