招き猫

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 今朝は珍しく、授業が始まる前に学校に着いた。  でも、珍しすぎて罰があたってしまったのだろうか。  朝のざわめきを聞きながら教室に入ると、中央に巨大招き猫がいた。  私は目を擦り、一旦廊下に出た。  改めてドアのクラス表示を見上げる。  出版学部第十一教室。  確かにそう読める。  視線を漂わせれば、見慣れた廊下のベンチ、くすんだ壁、そしてガラス張りのドアが、いつも通りの状態でそこにあった。  私は再び教室に足を踏み入れた。  招き猫は健在だった。  だが、周りに人が集まる気配は全くない。  学生たちは一つの長机に集まってしゃべったり、黙々と持参したノートパソコンのキーを叩いたり、机に体を傾けて寝ていたりと、思い思いに過ごしている。  中央の長机四つと丸椅子数個は、見事招き猫に押し潰されていた。  床のタイルまで割れている。  猫の耳先は天井に半ば突き刺さっていた。  彼(彼女?)は片手に小判、いや、大判を持ってこちらを向き、「ようこそ」と言わんばかりに招きポーズを取っている。  こんなに存在感があるのに、誰も何も口に出さない。  皆にはこれが見えていないのだろうか。  私は不思議に思い、本を広げて静かに読んでいるN子に尋ねてみようと服を引っ張った。  普通におはようのあいさつを交わしたところで「ポッキー食べる?」と箱を差し出され、私は一本抜き取った。 「ありがとう」 「ねぇ、昨日から始まったドラマ、見た?」  ……あそこに招き猫が……。  話を切り出された時点で、私は喉元の言葉を呑み込んだ。  改めて尋ねる自信は、もう私の中には残っていない。
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