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信玄は野田城を落とした直後から度々喀血 を呈するなど持病が悪化し、武田軍の進撃は突如として停止する。このため、信玄は長篠城 において療養していたが、病状は一向に良くならず、4月初旬には遂に甲斐に撤退することを決意する。
4月12日、軍を甲斐に引き返す三河街道上で死去する、享年53。臨終の地点は小山田信茂宛御宿堅物書状写によれば三州街道上の信濃国駒場(長野県 下伊那郡 阿智村 )であるとされているが、浪合や根羽とする説もある。戒名 は法性院機山信玄。菩提寺は山梨県 甲州市 の恵林寺 。
辞世の句は、「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」
『天よ!汝は我に死を欲すると言うのか!』
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