色褪せたノート

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 人生で出会った人の中で、そんなことを言う人物の心当たりは一人しかいない。 「きみくんか」  ふぅ、とため息をついた。記憶をめぐるのは、桜の花びらと、青春と、彼が大好きな『青い』ライオン。  でも未だになぜ彼が青のライオンにこだわっているのかは、謎に満ちている。  それに対して何かするわけでもなく、学会に申し出る訳でもなく。  一度問うてみたことがあるけれど「それじゃあ、世間は僕の頭がおかしくなったと思うに決まってるじゃないか。だろう?」彼は悲劇のヒロイン振りに嘆いてみせた。  きみくん。通称、いや、本名、山村公隆(やまむらきみたか)。彼は私の価値観を、三百六五度回転させちゃった男だ。   「呼んだかい」 「……相変わらず地獄耳」 「そりゃどうも」  背後から聴こえてきた声に、こっそりため息を吐く。  キッチンの整理を頼んでいた公隆が、障子の向こうからひょっこりと、その整った顔をのぞかせた。    彼は特別、耳の聴こえが良い。  そりゃもう、驚くほどに。  だから、彼が外にでも行かない限り、友達と秘密の話もできやしない。  その秘密を強いて例えるならば、公隆が尊敬している講師の悪口、とか。
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