国力増強と利家の暴発

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「ふん、駿河のお歯黒等など・・・雪斎が居らぬ今となっては直ぐには動かぬわ」 友春の問いに信長は吐き捨てる様に言った。 太原雪斎・・・臨済宗の僧。幼い頃から秀才の呼び声高く、義元の父・氏親の要請に応じて義元の教育係となる。氏親の跡を継いだ氏輝が死去すると今川家の家督争いが起こり雪斎は義元を補佐し家督を継がすと今川家の軍事・内政・外交の最高顧問ともいえる地位に就き、今川仮名目録の制定や甲・相・駿三国同盟の締結に尽力し1555年に没した。 若き日の信長は父・信秀の元、この雪斎に何度も煮え湯を飲まされていた。その雪斎が無くなってから既に4年余り経つが、今川軍はさほど活発に動いて来ない事からも信長は義元を憂柔不断であると断を下していた。 「ははっ」 友春は余り信長に意見して機嫌を損ねる恐れもあった為、平伏しそれ以上言葉を出さずにいた。 「じゃが我が尾張も長い戦いで疲れておる、美濃の前に民を愛で国力を上げねばならぬ。そちもそのつもりで励め」 信長は長い内乱で疲弊した尾張を富ませ国力の充実を図り動員兵力の増強を狙っている様である。つまりは富国強兵である。 「ははーっ!」 友春は改めて平伏し今後は内政への主命が下るであろうと気を張り詰めさせた。 そうして信長との謁見は終わり数日後、尾張守護・斯波義銀は官職停止の上、京へ送られた。事実上の追放であり、尾張の主は名実ともに織田信長である事を内外に示したのである。 それによって今川方は尾張への足掛かりとしていた斯波義銀と知多衆の協力を得られない事から三河へ集めた兵を解いた為、尾張にはしばらくは平穏を取り戻したのである。
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