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何となしにだが、直ぐには江戸の藩邸へ向かわなかった。
訳の分からん男からやっと解放されたのだ。
この文も江戸まで運ぶ義理も無い。
だが宿を失った俺にはやることも無く、かと言って人間に憑く気も起きず、ぶらぶらと時間をかけて江戸まで自らの足で歩いた。
江戸の郡上藩邸は、愉快な程に大混乱だった。
牢には遠路はるばるやってきた農民が鮨詰めにされているし、役人達も血走った目を落ち着かなげに動かしては、藩邸内をうろついている。
その間を通って藩主の部屋へとやってきて襖をすり抜ける。
十程の人間が居たが、藩主は直ぐにわかった。
高い位置に座して誰よりも上等の着物を纏う。
何より、此処にいる誰よりも切迫した表情で手の中の書簡を眺めていた。
「虫けら共め、舐めた真似をしてくれる…!学のない奴は大人しく土を耕しておればよいのだ…!」
ふぅふぅと荒く息を吐く男を間近で見下ろした。
…これが藩主。
常盤色の着物の男が最期に言葉を託したかった友人。
何故こんな男に。
「…む?」
俺があまりにもじっと見ていた所為か、何かを感じ取った藩主は辺りを見回した。
藍色の懐から血濡れの文を取り出し、藩主の前に雑に放り投げた。
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