上弦の月の章

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  常盤色の着物の男と藩主を繋ぐあの美しい硯は、混乱と共に消えた。 死の淵に立っても頑なに俺に渡さなかった物だ。 探すつもりも無ければ、興味も無い。 目を閉じれば安易に浮かぶ美しい青花の石紋の硯も、常盤色の背中も。 …直に思い出しもしなくなるだろう。 この一揆の行く末もまた死んでいく沢山の人間も、俺にはどうでも良い事だ。 出来事すら忘れる。 …この俺を人間のようだなどと、死に際に適当な事をぬかしおって。 夏草を踏みしめながら川縁を歩くと、まだ真っ青な芒が対岸に見える。 日が経つにつれ、しばらく腹の中にあった熱いものは徐々に消え去り、すっかり冷えて静かになった。 …そろそろ宿を探そうか。 今回はいろいろと考え過ぎたから疲れた。 そうだ。 強欲な奴を探さねば。 強欲で…直ぐ死なん奴が良い。 其奴の元で何も考えずに暮らしたい。 欠伸をひとつすると、賑やかな町の方へと足を向かわせた。  
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