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「御主人に先立たれて不自由してないかと案じておりました。何か力になれればと思って家を訪れましたが、あなたは既に家を離れた後で」
男は嬉しそうに近寄ってきたが、女は自分の身なりを思い出して数歩下がる。
汚れて穴の開いた薄い物乞い用の鍋も、後ろ手に隠した。
女は困惑した。
裕福だった頃の自分はもういない。
鍋の底にこびり付いた焦げまでを舐め取って、やっと生きているのだ。
この男は若く美しかった自分を知っている。
今の自分を見られることが、とても恥ずかしかった。
女は目を合わせないまま小さく言った。
「…この通り、貴方様とは別の日常を生きております。どうか、他の御仁にはこのことを…」
豪傑、遣り手で慕われていた主人の顔に泥を塗るわけにはいかない。
それに、もうじき自分は見知らぬ拾い子と死ぬのだ。
関わって欲しくなかった。
しかし、男は女の前で立ち止まると躊躇なく跪いた。
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