さくらの下で

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 その夜は、おれにとって、今まで生きてきた十年間で、間違いなく特別な夜だった。  理由は、2つ。  一つ目は、親父がその日に死んだから。  二つ目は、…そう…、初めて、心から、あいつを、唯を大切にしたいと想った夜だったから。  その夜、おれは、線香の臭いと、親戚たちの吸うタバコの煙がいやで、こっそりうちを抜け出した。行くあてもなくて、うちから5分くらいの、ブランコと、でかいさくらの木しかない公園に向かった。  満月で、満開のさくらが月に照らされて、十歳のおれでも、きれいだなと思ったことを覚えてる。    その時には、おれはまだ親父が死んだことに、まったく涙が出てなかった。  突然、親父は倒れた。そのまま、意識は戻らず、三日目の朝に死んだ。おれが聞いた親父の最期の言葉は、「頭が痛い」と、苦しそうに言う言葉だった。おれが泣けなかったのは、人が簡単にいなくなってしまうということが、実感できなかったんだろうと思う。  ブランコに揺られながら、さくらを見ていたら、隣のブランコがギィッと音をたてた。 顔を向けると、そこに唯がいた。きっとおれがしてたように、さくらを見ている。 「…きれいだね」 「…そうだな」 それから、唯は何も言おうとしない。生まれたときから一緒にいたのに、こんなにしゃべらない唯は初めてだった。 「なしたんだよ?」 「………」 「なんか、言えよ」  ゆっくりこっちを向いた唯を見て、おれの心臓が、バクンと一つ、大きく鳴った。  唯は泣いていた。 「ど、どうしてお前が泣くんだよ!?」  唯は、涙をぬぐい、ポツリと言った。 「…おじさん、とっても痛かったかな」 「さぁな。痛いって、倒れたんだ」  また、少し、唯は下を向いて、だまった。そして、顔をあげると、まっすぐおれを見て、言った。 「私、絶対、おじさんのこと、忘れないから。」  その言葉を聞いた時。  この時の、気持ちは、なんと言えばいいんだろう。おれは、何だか、大きな安心感につつまれたんだ。  …親父を、忘れないでいてくれるやつが、他にもいる…。  そんな、安心感だったと思う。  その時、初めて親父の死に対して、涙が出た。一度、出だした涙は、簡単には止まらなかった。  そんなおれを、唯は、ただ、だまって見ていた。  涙で、ぼやける視界に、月に照らされたさくらと、唯がうつる。  唯と、いたい、いつまでも。  そう想った。
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