純愛

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純愛

 両手を刺す痛みに意識を朦朧とさせながら、目の前で狂気染みた笑みを浮かべた少年を見て、彼女は思う。  ――彼は一体、どうしてしまったんだろう……?  二人の関係は、所謂幼馴染というものだった。幼稚園の入園式で出会い、それから進路のことで忙しなくなってきた――高校三年生となった現在に至るまでずっと一緒だった。何か悩みを抱いていればそれを見透かしたように欲しい言葉をくれて、気遣い、優しく包み込んでくれる。誰よりも傍に居て、誰よりも大切にしたい、してもらいたい、そんな存在。だからといってそこに、異性に抱くような好意はなく、けれど少女の裡に何かしらの《愛》と言えるであろう想いが息衝いていることも確かだった。  友愛でもなければ恩愛でもなく、情愛でもなければ敬愛でもない――それが何だと偏に表しきれるような単純なものではないのだ。  ただ、愛しているだけで。  ただ、愛しているけれど。  それがどういった感情に基づいているものなのかは、少女自身にも分からない。  それでも、無理やりにでも何かの愛として形作らなければならないのだとすれば、それはきっと《純愛》に違いなかった。不純を一切取り払い、穢れなんて少しも知らない、その形に違いなかった。  けれどそんな想いを抱いていた対象である少年は、いつの間にか変わってしまっていた。変わり、果ててしまっていた。  いや……、それは違う。彼女の知らない少年がそこに居た。彼は変わったのではなく、今初めて本当の姿を現してくれたのだ。言ってしまえば、少女はようやく彼に出会うことが出来た。  今までの数え切れない思い出の中の彼は彼ではなく、今少女の目の前で大きな包丁を持って優しそうに嬉しそうに笑っている彼こそが彼だったのだ。だからこれまでの思い出は全て夢でしかなくて、夢のような今こそが彼との初めての思い出。積み上げた愛は偽物で、思い出は芯を入れていないペンで描いた落書きで、今この時の少女と少年の間には何もなかった。  だけれどそれを彼女は認めたくなくて、こうして彼に、ここ――どことも分からない廃墟のような所に連れて来られる途中、ずっと泣き喚いていた。得体の知れない恐怖や不安もあったし、それはとても否定し切れないものだけれど――それでも彼女は《彼女の知っている少年》に、裸にされて両手を壁に打ち付けられた今でも縋り付こうとしていた。
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