純愛

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 少女の中の何がこんなにも彼を求めるのかは分からない。  どうして彼がこんなことをするのかも分からない。  今まで一緒に居た少年がまたいつものように助けてくれることを、こんな状況になってまで期待しているのだろうか。  彼が妄言のようなことを言って友達から罵られた時、思わず周りの人達に流されて同じような言葉を口にしてしまった事を憎んでいるのだろうか。  ――どうして? どうして自分の手首を、剃刀で切り付けるの? その手に持った包丁は、一体何に使うの?   何もかもが分からない。  でも、何故だろう――彼が一つ歩み寄る度に、少女の中で何かが大きく脈を打つ。それはまるで恋をした時の高鳴りのようで、外気に晒された胸が熱くなって、頬が紅潮していくのを少女は自覚する。動悸が激しくなって、零れ出た吐息が狂った笑い声となって暗い室内に反響する。釘に打たれた傷の痛みや逡巡していた考えが一気に遠退いて体が前へ前へと惹かれていく。彼の一瞬怯えたような表情とその後に浮かんだ安堵がひどく可笑しくてさらに声が大きくなる。少女のお腹にあたった包丁の先が少しだけ皮膚を裂いて真っ赤な血が嬉しそうに弾けて彼が気持ち悪い笑みを浮かべて――いつの間にか壁から開放されていた右手に刺さっていた釘をそのまま彼の首に深く突き刺した。  ――ねぇ、愛し合いましょう?  少年は呆けたような顔をしていた。どうしてそんな顔をするのかは分からなかったけれど、きっと喜びのあまり理解できていないだけなのだと少女は結論付ける。  ――そうだ、今、ようやく解った。これが彼に抱いていた純粋な愛の本当の形なんだ。これが純愛なんだ。やっぱり言葉で表そうなんてとてもではないけど無理なものだ。だって一度愛したら壊れてしまう。一度示したら彼と一緒に居られなくなってしまう。だけど今なら大丈夫。だって彼が私のお腹に突き立てた切っ先は肉に深く沈みこんで、その隙間から私の中に蠢いていた《愛》を溢れさせていて、そして彼の愛も彼の首から嬉しそうに吹き出して私を犯しているんだから。これならずっと一緒。絶対に離れないし、彼も私も決して離しはしない。私も彼も世界で誰よりも愛し合っているのだ。だからこんなに素晴らしいことはない。彼だって、きっとこれを望んでいた。  ……その、はずなのに。  ――どうして貴方は、そんな顔をしているの?
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