2章 龍ヶ淵

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 灰色に澱んだ空から、無数の針が降る。  まあ針といっても、それは水の針のことだ。  身動きするもの凡てを射殺すような豪雨の中を、一人の男が黙々と歩を進めていた。  頭から雨よけのコートを被って歩く男の表情は、生憎と読みとることができない。 「だめだ、このままじゃあ埒があかねぇ」  容赦なく打ち付ける雨に、男は曇天を睨みつけて呟く。  その先に見えた大樹の下で、彼は足を止めた。 「うは…ひでえな」  被っていた上着を脱ぐと、雪のような白亜の髪が露わになる。  まるで其れに驚くかのように、大樹の幹が湿った音で軋む。 [おや。誰かと思えば…] 「谺(コダマ)の巣か。…悪いが、少し雨宿りさせてくれんかね」  気配を察して見上げると、樹の枝に緑(あお)い髪の幼げな娘の姿をした谺が座っていた。  彼女は物珍しげな様子でカイリを観察しながら、幼子そのものの仕種で足を揺らして笑っている。 [随分と風変わりな客だこと。お前さんが噂の祓い師か]  鈴を転がす声が、柔らかくカイリの耳朶を打つ。 「俺を知ってんのかい」 [異なことをいうね、こちら側で知らぬ者はいないさ。間(あわい)に棲まう祓い師どの] 「間ね、そんな風に伝わってんのか。まあ、否定はせんがな」  あわい。人の言葉では狭間とも言う。  カイリの緑い瞳が、スッと一瞬細められた。  人の容姿を保ちながらも、人ならざる者。  または妖であり、人間でもある者。  死んでいて、生きている者をそのように謂う。  境を越えたカイリの瞳が揃いでないのは、そのためである。  それぞれ色も違い、その目に写す世界が異なるのだ。
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