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「さようなら」
ふわふわ浮かぶ、かぶとむしが言った。
「僕は人に踏まれて死んだけれど、憎んだことはないよ」
立ち尽くす人影をらんらん、と見詰めて。
かぶとむしが消えた。
いや、人として、落ちていった――……。
人影は呟いた。
「僕の将来も考えてくれよ」
あのかぶとむしと同じ声で。
「とても苦しむんだからさ……」
エコーもかけず。
きらきらした、あの有彩色の衣を捨てた。
さっぱりとした身なりの黒人が姿を現した。
「家族が戦争でいなくなり、差別されて妻と息子を殺されて!」
軽い口調で、ぽろぽろ、泪を流しながら話す。
「前世はかぶとむし!不幸だなあ!」
それからため息をついて、ゆらゆら、掻き分けて下界の穴を見つける。
「タイムスリップの、異世界への混入ができる能力があったのは、幸いかな?」
落ちた。
苦しみばかりの、下界へと。
けれど、男の口元には笑みが浮かんでいた…。
《完》
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