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「今度、結婚するんです」
もう二十年近い付き合いになる腐れ縁の彼女からいきなり呼び出され、一体何事かと構えていた僕に向けられた言葉はそれだった。僕が来る前には既に呑んでいたらしく、空になったボトルがテーブルの上に転がっている。
ボトルの口から零れる紫の雫が、月の光を美しく受けていた。
「そう」
気の抜けた返事を返して、僕は彼女の真正面の椅子に座る。テラスの空気はひんやりと冷たく、秋の訪れを感じさせた。
「今度、結婚するんですよ?」
僕の薄い反応が不満だったのか、彼女は口を尖らせて繰り返した。何だかハムスターに似ているな、とその時初めて思った。見下ろす街並みの光が、うっすらと彼女の横顔を照らしている。
「おめでとう。それで?」
秋月さんは女心を分かっていませんね、彼女はそう言ってグラスを煽る。飲み過ぎだ、やめときなよと忠告する僕を無視して、新たなワインをグラスに並々と注ぐ。仕方なしに僕は息を吐いて、空いていたグラスに自分の分を注いだ。
「女心って言われても、何分僕は女の子じゃないからね」
「そういうことを言ってるんじゃないです。そんなことばかり言ってるから秋月さんは……」
途切れてしまった言葉の先に何が綴られていたのか、僕には分からない。ただ何となく腹が立って、彼女がテーブルに置いていたグラスをこちらに引き寄せた。彼女はのっそりとこちらを見て、
「何するんですか」
「飲み過ぎ」
「飲まなきゃやっていられないんですよ」
子供のように、母親に無理難題を突きつける子供のように彼女はテーブルに突っ伏した。伸ばされた片腕が僕の腕にぶつかり、酒の効能か、何だか暖かかった。
「秋月さんの、あほー」
「由梨にそう言われると、地味に傷つくんだけど」
学生時代は、情けないことに彼女の方が成績が良かった。机にかじりついて必死で努力した、という訳でもないが、追いつかなかった。それを僕は悔しいと思っていた。
「あほだからあほなんですよ。お酒でも呑んだらどうですか」
脈絡が無いもんだ、と僕は心の中で思ったが、口には出さなかった。代わりにグラスを煽る。喉が一気に熱くなり、小さく咳をした。こちらをにやりとした笑みで見る彼女に居心地が悪くなって、最近風邪気味でね、と些細な嘘をつく。
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