モラトリアムアイデンティティ

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「今回は悪いな、次は行くからまたよんでくれよ。……ああ、わかった。じゃあな」 そう言って、手に持つ古めかしい携帯を小気味のいい音を鳴らして閉じる。ひと段落つき、体から息が盛大に漏れ、張っていた背が丸みを帯びるのを感じた。 辺りを見回してみる。誰もが使った事のあるような遊具ばかりが並べられている公園には誰一人として歩いてはいない。紅葉が赤く世界を彩らせていた季節も過ぎ、枯れた葉が今か今かと最後の一枚を揺らしているのが、やたらと寂寥感を醸し出している。 俺はこんなものさびしげな所は観たくないと、眼鏡をはずし、鞄の中にケースに入れてしまいこんだ。 自分が小学生として社会に認められていたころは、まだ日も落ちきっていない様なこの時間帯には、外をかけずり回っていたはずなのだが、今の子供たちにその常識は通用しないようだ。自分の常識が通用しないというのは、なんとなく自分のいきた時代を否定されたような気持ちになる。今の子供たちが俺を含む大学生たちの時代を馬鹿にしたいがために、室内での遊びにいそしんでいるとは思わないのだが……。 考えを打ち切った。ネガティブな方向に進みそうだ。 俺は気を紛らわすために胸ポケットに入れていた安っぽい銘柄の煙草を取り出した。馴れた動作で咥えた煙草に火をつけ、大きく吸い込んで、ネガティブな考えとともに吐き出した。 煙は勢いに、前へ圧されて噴き出し、やんわりと空気に紛れていく。 なんとなく空気にまぎれきれず空に向かう煙を見ていた。煙は形をゆがませながら空に上がっていく。 「今日はいい天気ですね」 ふいに声をかけられ、驚いて空に向けていた視線を横にやると一人の男性が立っていた。 眼鏡を外していたため顔はぼやけているが、男の『紫縁の眼鏡』だけは認識できた。派手な色の物を使っているようだが、雰囲気から3,40代ほどの中年と思えた。 「隣、失礼してもいいかな?」 「え、あ、はい。」 突然の事で動揺し、どもってしまう。多少の恥ずかしさを隠すように俺は顔をそむけながらベンチの端へ移動し、スペースを作った。とは言ってももう一人くらい座っても余裕がある位の大きさはあるベンチなのだが。 それでも男は感謝をのべてから、俺とは反対側に腰を下ろす。かなり丁寧な物腰。
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