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何故 人は何故ものをほっする 愛をほっする 必要とされたい 必要とされたいのだろうか 満たされたい欲 全ての動物において 欲求とはつきものである それを理性として受け止め 感情と受けとめ 物欲と受け止め 食欲と受け止め 思いと受け止め 何が満たされたいのか それがもう全て欲の塊なのである 理性の効かない人は人にあらず 例をあげるとゾンビとヴァンパイヤ ゾンビにも柔らかい肉固い肉と好き嫌いはあるようだが どっちにしろ食欲という欲望の理性の歯止めは効かずに 食い荒らすがまだ足りないという残酷なものである ヴァンパイヤは満月になると変化し血は吸うが 人のように理性があるため 我慢をしたり変わりのもので代用したりと これだけ違いがあるものである 人は自分自身に利己主義なため 自分自身のいいことしかくみとらず 悪いと思うことは人のせいにしたり 何故周りがそうするのかも知らずわからずのままであり まずは自分自身がどう行動していたのか言動していたのかを 過去の自分と自分自身とみつめなおすべきである 何処がいいのか悪いのか悪かったのか わからなければ家族に聞けばいい周りに聞けばいい 聞くことは恥じゃない聞かないでしったかぶりをするほうが恥である 相手がどう思ってどうこれから行動するかもしらずに 何も思わず考えずやれることもやれないと自分自身の中で正当化し 自分自身を強くよく見せようとしているのだ つまり、自分自身との戦い それが理性と精神 だからといって嫌いなわけじゃなく もっと興味深いものなのだ だから人は考えネガティブになりポジティブになるのだ 人は人自分は自分 前向きになれば前向きに進む 後ろ向きになれば後ろ向きにしか進まない 人はどっちを選ぶのか
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