10章 さよならは、言わない

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 誰かが俺を揺さぶっている。 「……ろ」  この声は、誰だ?  俺はぼやける視界と体の気だるさに襲われながら、ぼやけて見える人影に手を伸ばした。 「ひょっとして……絶世の……美女……?」  ――ざわっ。  俺の右手に宿った不快かつ粗悪な手触りで、一気に現実へと戻ってきた。 「何だ、今のは!」 「もういいか――いい加減に起きろ」  気が付けば、俺の崇高なる右手は木之本の顎鬚を触っていた。  俺を覗きこむように見ていた木之本は、顎鬚を触られながらも不機嫌な表情。 「うわっ! 最低っ」 「何が最低だよ。それはこっちの台詞だ。キョウヤはいない、探し回ればお前はこんな所でサボって寝てる。起こしてみれば俺の崇高なる顎鬚に触れた揚句、最低とぬかす」  ……同じ崇高って表現を使った事にすら後悔しつつ、俺は急いで右手をズボンでぬぐいながら立ち上がった。 「別にサボってたわけじゃねぇっての」 「わかった。それは後で聞くとして……」    木之本が妙に真剣な顔つきになる。 「どうした。何かあったのか?」  俺はいなくなったキョウヤの事を思い出す。そうだ。あいつどこにいったんだ――ひょっとして木之本が何か掴んだのか?  俺の視線を受け、木之本は言いにくそうに口を開いた。 「あのな。お前みたいな若造が起きた第一声が『絶世の美女?』なんてあり得ねぇだろ。今日び、俺ぐらいの歳のヤツでも言わないぜ?」 「……それはいいから。早く行くぞ」
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