三章

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三章

 ふと思った訳であります。わたくしはこんな場に居るべき存在ではないのだ、と。  小生はこの場では肩身が狭いのでございます。隣でにこりと笑ってくださる、朱色の着物を美しくお召しになられたわたくしの幼馴染み、否、主君は、蒙昧なわたくしの父母等よりも随分と世事に詳しく、また茶華道などにも長けておりました。  わたくしはただの下部(しもべ)に過ぎませぬ故に、肌身に着ておりますのは、薄れた藍色の窶(やつ)れた浴衣であります。とにもかくにも、この場から逃げ仰せねば、わたくしは申し訳なさと所有欲に神経を磨り減らされ、無くなって仕舞いかねませぬ。何とか厠へと逃げて参りましたが、こんなものではわたくしの心を圧する重厚なる気を取り除く事は到底出来ませぬ。あんまりしんどいのであります。  叶いはしませぬでしょう、ただこの色情は書く位は宜しかりましょうから記しておきますと、愚生は主君に大層恋を致しておりました。  あの艶艶と照り映える黒い御髪、優しい雰囲気をお持ちの目、常に瑞々しい桃色でおわします唇、少しふっくらとした頬、お着物から僅かに覗く官能をそそる鎖骨、お召し物に隠れました体をよく洗う為にわたくしこそ知る華奢で可憐な体躯、僅かに質量が増し始めた可愛らしい御乳房、微かに肉を帯びました柔らかそうな太股、三月程前にお買いになられた小さな雪踏を履く可愛らしい足。何もかもがいじらしく思うのでございます。  然れど昨今わたくしが尋ねてみますと、どうも主君には興味のございます異性がいらっしゃるようでございまして、わたくしはただ失意に飲まれる他、何も致せませぬのでありました。  わたくしは暫くで十六になる身でございまして、主君はついに十七つになられたのですが、にも拘わらず我が主はわたくしにお背中流しを命じるのであります。この劣情を抑えるのが、近頃難しくなったのでございます。  わたくしは佐助にすらなりましょう。主が小生を寵愛してくださると明言せずとも、全身全霊で彼女をお慕い申し上げます。ですからどうか、お情けを賜(たまわ)らせてください。  そうしてお嬢様の元へ立ち帰り申し上げますと、わたくしの目が悪くなったのでありましょうか、何か細い糸が、この宴会にいらっしゃった方々から出ているように見えるのでございます。  あれは一体、何なのでございましょうか。畢竟分からぬままなのです。
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