『郁夫』

2/2
前へ
/10ページ
次へ
「何で……? 何でそんな汚い言葉を浴びせるの?」  右に左に、グラリ、グラリと首を揺らしながら、女は俺に近付いて来る。  その目はポッカリと穴が開いた様に虚ろで、俺と視線を合わせている筈なのに、まるで俺など見ておらず、別の何か……いや、誰かを見据えて話しているように思えた。  その時、頭部に衝撃が走る。身体が前方に大きく揺らいだ。 「かっ……!? あが……がっ……?!」  視界が捻れ、歪んでいく。後頭部に焼ける様な熱を覚えた。 「許さない……許さない、郁夫」  振り返るとそこには、頭上高くビデオデッキを掲げた章子が、見た事も無い形相を浮かべて佇んでいた。 「ア……アッコ、何で……」  しかし、俺の言葉が章子に届くよりも早く、無情のデッキが容赦無く振り下ろされる。何度も、何度も……。 「郁夫、郁夫! 許さない、許さない!!」 「ち、違う……俺は郁夫じゃ……」  自由を奪われた俺に、抗う術など無い。  やがて意識は、黒く閉ざされた。  
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加