63人が本棚に入れています
本棚に追加
「さて、と。怪我はないみたいだね」
ひとしきり撫で終わり、男はリゼから手を離した。
無意識に、リゼの視線は細くしなやかな指を追う。
そのまま、視線は男を捉えた。
艶やかな金髪に、全てを見透かすようなエメラルドの瞳。
白い肌は男の細い体躯を覆い、長い髪は、後ろで三つ編みにして束ねられていた。
貴族を思わせる品のいい装いも、けれどその容姿の前ではただの飾りにすぎなかった。
──ぞくりとするほど、美しい。
魅せられれば、見透かすようなエメラルドが優美に細められた。
「これは返すよ。君の物だろう?」
男に地図を差し出され、リゼは思い出したように「あ……」と声を漏らす。
そろりと受け取れば、男は悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「じゃあ私は行くよ。君も気を付けてね」
軽くリゼの頭に手を置くと、男は踵を返して歩き出した。
ぴちゃぴちゃと水溜りが跳ねる音だけが辺りに響く。
数秒見送った後、リゼも踵を返した。
近くに落ちていたトランクを手に取り、フードを被り直す。
歩き出そうと一歩を踏み出し、けれど思い直したように振り返った。
「あの…………」
──名前は?
そう続けようとした言葉は、しかし口から出ることはなかった。
男はいなかった。
ただ閑散と、木箱だけがそこに在る。
リゼは夢でも見たような気分になった。けれど、確かに。
頭を撫でられた感覚は彼女の中に残っていて。
(……夢じゃない。だってちゃんと温もりが残ってる)
フードごしに頭をおさえ、リゼは落ち着かない感情を胸の内に感じた。
けれどそれは決して不快なものではない。
(…不思議な人だったな)
珍しいものにでもあったような感覚を覚え、リゼはその場を後にする。
残された大きな水溜りだけが、じっと、全てを見つめていた。
最初のコメントを投稿しよう!