第一章 罠にかかった悪魔堕ち

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「さて、と。怪我はないみたいだね」 ひとしきり撫で終わり、男はリゼから手を離した。 無意識に、リゼの視線は細くしなやかな指を追う。 そのまま、視線は男を捉えた。 艶やかな金髪に、全てを見透かすようなエメラルドの瞳。 白い肌は男の細い体躯を覆い、長い髪は、後ろで三つ編みにして束ねられていた。 貴族を思わせる品のいい装いも、けれどその容姿の前ではただの飾りにすぎなかった。 ──ぞくりとするほど、美しい。 魅せられれば、見透かすようなエメラルドが優美に細められた。 「これは返すよ。君の物だろう?」 男に地図を差し出され、リゼは思い出したように「あ……」と声を漏らす。 そろりと受け取れば、男は悪戯っぽく笑みを浮かべた。 「じゃあ私は行くよ。君も気を付けてね」 軽くリゼの頭に手を置くと、男は踵を返して歩き出した。 ぴちゃぴちゃと水溜りが跳ねる音だけが辺りに響く。 数秒見送った後、リゼも踵を返した。 近くに落ちていたトランクを手に取り、フードを被り直す。 歩き出そうと一歩を踏み出し、けれど思い直したように振り返った。 「あの…………」 ──名前は? そう続けようとした言葉は、しかし口から出ることはなかった。 男はいなかった。 ただ閑散と、木箱だけがそこに在る。 リゼは夢でも見たような気分になった。けれど、確かに。 頭を撫でられた感覚は彼女の中に残っていて。 (……夢じゃない。だってちゃんと温もりが残ってる) フードごしに頭をおさえ、リゼは落ち着かない感情を胸の内に感じた。 けれどそれは決して不快なものではない。 (…不思議な人だったな) 珍しいものにでもあったような感覚を覚え、リゼはその場を後にする。 残された大きな水溜りだけが、じっと、全てを見つめていた。
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