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(……眠い、な)
船から降りたリゼは、酔っぱらいのような千鳥足で目的地に向かっていた。
ほぼ毎日。
眠れないのではなく眠らない夜を過ごしていれば、リゼの体はすっかり昼夜逆転に慣れてしまった。
結果、毎日のように寝不足で瞼が重たい。
いつもは木に登ってそろそろ眠る時間だが……これからはそうはいかない。
これから彼女は、成人として働くのだから。
知らせが来たのはつい先日だった。
「奉公に出なさい」
唐突に、院長はリゼに告げた。
院長室に呼び出されてすぐ、言われた言葉にリゼは内心驚いた。
しかし、その様子が表に出ることはなかった。
彼女は大抵、無表情な子だった。
「どこに、ですか?」
平坦に、拒否することなくリゼは問うた。
「ラスティーユのシルフォード侯爵家です」
無表情で院長は答えた。
「当主のランドール・シルフォードが使用人を探していると聞いたので、駄目もとでお前を申請しました。運と言うのは、お前にもあったようですよ」
皮肉めいたように薄く笑い、院長は冷淡にリゼを見下ろす。
リゼはじっと、無表情のまま漆黒の瞳で見つめ返した。
それは人形のように無垢で冷たく、何の感慨もない瞳で。
「……っ。と、とにかく。お前の採用は決まりました。明日、出ていきなさい」
息を詰めると、院長は視線を逸らし、背を向けて冷たく言い放った。
──凍てつくような黒い瞳。
いつだったか、そう言ったのは院長だった。
院長はリゼの黒い瞳が嫌いだった。
けれども、それでも。
一向に振り向かない背中を見つめ、リゼは深く頭を下げた。
「……ありがとうございました。お世話になりました」
返事も聞かずリゼは院長室を後にした。
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