序章─覚醒─

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【1】 「───だ……ぁ……り……ぼ……愛し………」  常闇に蠢く一つの影が零す呪怨めいた囁きが支配する世界。狂ったように同じ言葉を復唱し続け、胸のうちに秘めた強大な想いもまた肥大化してゆく。そんな狂おしくも異常な空間に一つの足音が近づいてくる。  重々しく油断のない足取りで、闇に支配された世界へと降り立った者は、ぶつぶつと呟く影がいる牢の前で足音を止めた。 「ッ!とうとう狂ったか?国汚しの売女に現を抜かし、名をも喪った愚かな者よ」  男の問いに返答はない。夜目が効く男には、牢の中で蹲りながら呪詛を唱え続ける者の姿は不気味に映った。しかしながら声をかけないわけにもいかない。 「ふむ、狂った御主に3つほど愉快なことを教えてやろう。まず一つ目だが、貴族たちが反乱を起こし粛清された。二つ目は、それに関わるが御主の親も粛清された」  蹲る影に変化は見られない。肉親が粛清されたと言われて心を微塵も動かさない影は、やはりどうしようもないほど狂っている。深いため息を男は吐いた。 「皮肉だな、御主が狂うほど愛した”リルカ“という売女に御主の全てが奪われたのじゃからな」  今まで何の反応も示 さなかった影が僅かに蠢いた。 「……り…る…か」  影の中でその名が果たす役割は大きかった。死んだ魚の目をしていた影に光が灯る。 「りるかりるかりるかりるかりるかりるかりるかりるかりるかりるかりるかりるかりるかりるかりるか。僕はリルカを愛している」  狂っている。男は、どうしようもなく影が狂っていることを確信した。肉親には微塵も反応しない影が、リルカという一人の女には異常な反応を示したのだ。常闇の牢の中で狂わずに済んだのは、既に”愛“という狂気に身を置いていたからなのだろう。狂気は狂気をもって制する。男は己の背に何とも言えない悪寒を感じていた。 「ッ!真に嘆かわしいことよ。我が国は どうしようもないほどに狂っておる」 「…誰だ、あんた?」 「儂はシュルツ、どうやら正気を戻したようじゃな。三つ目の愉快なことを伝えておこう。”英雄“は王国にいない」 「英雄?えいゆう、え、い、ゆ、う!!マリモォォォォォォォォォォォォォォォ!!」  怨嗟の雄叫びがシュルツの耳を劈く。怒りだけではない憎悪、およそ人の持つ悪意が全て込められていた。肌に粟が立つ。正気を越えた先、或いは別次元に存在するであろう恐ろしい感情。
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