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私が高校生だった時の話である。 私の高校は、古いばかりが取り柄で、改築と建て増しによりおかしな構造になっていた。 例えば教員玄関のある特別棟。斜面に作られたばかりに、本棟の階段の踊り場が特別棟の二階と繋がると言う有り様であった。 生徒の行き来があまりない特別棟は常に薄暗い。 その特別棟で私は ゆらゆらと揺れる真っ黒な『影』を見た。 影はおおよそ人の形をしていて、向こうの壁の絵が透けるほどの頼りない存在感で、ゆらりゆらりと歩いていた。 最初はさすがに驚いたが、二度三度見るようになるとあまり気にしなくなった。 以前も言ったが、彼らの情報はダイレクトだ。中身そのものの彼らに容姿の美醜などなんの意味もない。 怖い、と感じればそれは危険な存在で、何も思わねばそれはただ『存在しているだけ』のオブジェなのだ。 今のところ、この判断で外したことはない。 …まぁ流石に、追っ掛けてきたらどうしよう…くらいのことは思ったが。 ある時、友人と共に下校口に降りた際、なんの気なしに特別棟へと続く踊り場を振り返った。 『影』が、いた 普段なら特別棟の端からこちらには決して来ない影が、どよどよと解れるような闇を揺らして、踊り場の手すりにしがみつきこちらを見ている。 左右不釣り合いに高さが崩れた、ミルクセーキのように不透明な黄色い目がこちらを見ている。 「あれ…」 私は思わず友人の肩を揺らした。彼女もまた『私より余程見える友人』であった。 彼女は影を一瞥すると 「気にしなくていい、アレは付いてこれないよ」 と目線を自分の靴紐に移した。眼は会わせない方がいいけどね、と付け加えて。 「帰るのが羨ましいだけだから」 歩き出す彼女を追いかけ私は聞いた。 「何で付いてこられないの?学校から出られないの?」 当然の疑問だ。 その当然の疑問に、友人はなんでもないかのように答える 「靴」 私たちの体が玄関を越える。 「アレ、靴ないから 靴ないから外出られないの」 彼女には、あの影がどんな風に見えていたのだろう。 あの影は、どうして靴がないのだろう。 今となってはもう分からない。 学校ではたまに、誰かしら靴を盗まれる人が出るものだ。 しかし盗んだ人間は確実な生者だと誰が言えるだろうか。 私の出会った影のような、生真面目で几帳面な死者が 帰りたくて止むに止まれず靴を盗むことだってあるんじゃないだろうか 私はそう、思うのである。
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