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幼い頃
飯田市の町中の道路には大きな木が一本あった。枝も切られ半分道路に入り込んだ大木は、幼心に邪魔であろうと感じるほどで、私は回りの大人に
『何故切らないのか』
と問うた。大人たちは一言
『神様だから切れないのだ』
と答えた。
何故木が神様なのか
さらに疑問に思い、母に問うた。
すると母は私にこういった
『木は大きくなると神様になる。神様になったから、例え邪魔でも枯れるまで切れない』
そして、山奥であるが故に今だ八百万の神々を多く残す集落で育った母は、さも普通であるかのように
『全てのものは、大きくなりすぎると神様になる。木も、岩も、動物も』
と教えてくれた。
そんな母に育てられた私も、案の定それがさも普通であると思い込んでいたわけだが、神社仏閣に詳しい友人に
「アメニズム(自然信仰)をガッツリ残した考え方だな…」
と言われ初めて考えた。
大きくなりすぎると神様になる、とは何なのか。
自分的に考え、自分の感覚的にまとめたものだが
木とは、一般的に人間が『木だなぁ』と感じる大きさがある。
それより大きくなった木は、『木を越えた存在』である。
『木を越えた存在』とはつまり『もはや木ではない』のだ
木ではなくなったら何になるか。
それは『神』か『モノノケ』に成るしかない。
だが、木は自ら人間に害を与えることはない。強い根は土を支え土砂崩れを防ぎ、沢山の枝や葉は土を肥やし薪になり人間を助ける。
だから木は、木を越えるほど大きくなると『神様』になるわけだ
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