ファーストキス

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 翌日のチェックアウトの時、昨夜の二人と出くわした。学生の顔をした二人に、もう帰るのかと惜しまれたけど、たかだか3つしか歳が違わぬくせして、私は『都会の大人の女』を一晩中演じ続けた手前、そこはにっこり笑って別れることにした。 「バイバイ。試験がんばるのよ」  アキはいつまでも、立ち去ろうとする私の後ろ姿を見ていた。  中澤昌尋という少年の、別れがたそうな顔は仔犬のようで、私は正直、もったいないことしたと思った。 そう、私が手放したくなくなっていたのだ。彼に魅かれたというより、彼を魅き付けておきたかったのだ。彼の中で、旅先で遇っただけの、ファーストキスした思い出の『お姉さん』だけでは、終わらせてあげたくなくなっていた。  とても傲慢ではあったけど。  帰宅後私は、その頃たまたま三重県在住のペンフレンドがいたので、彼女に頼んで、アキが名乗った高校名と学年と名前から住所を調べてもらった。  学校も名前も、嘘ならそれでも良かったが、同名の高校に同姓同名の彼が居たから、住所はすぐにわかった。  私は手紙を書いた。気取って名乗らなかったせいで、手紙の書き出しは、自己紹介からという、なんともマヌケなものになってしまったが、アキを驚かすには充分だった。  返事はすぐに来た。  アキは、私が賭けた網に自ら飛び込んでくれた。  次の夏が巡る頃まで、アキは結婚マメに電話をくれるようになっていた。呼び方も『お姉さん』から『灯子[とうこ]』になっていた。  電話のアキはいつも屈託なく、まるで弟のようで、なんだかくすぐったかったが、心地がよかった。私には血の繋がった兄弟はいないので、私を姉のように慕う存在や、兄や姉のように私が頼れる存在の人は、いつも気持ちをなげませてくれて、気持ちが良い。  鳥羽と東京、とんでもなく長距離電話なので、長くは話さなかったが、アキとの通話はいつもいつも楽しかった。あの日まで。
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