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私は、生まれたときから耳が聞こえない。
「千笑美」
私の名前を呼んでくれる人が、いつも笑顔でいるように、両親がつけてくれた名前。
「ちえみちゃん」
そう笑顔で呼びかけられるのを見て、私もよく笑う赤ちゃんだった。
けれど、声も言葉もわからなくて、3歳のとき、耳の異常が判明した。
私は喉が切れるほど泣いて嫌がり、補聴器を埋め込む手術をしなかった。
実際、困ることもあったけれど、それより、私は絵を描くことに出会えたのだ。
聞こえるってことが、どんな感じなのか、わからなくても…
私には、よく見える目があるし、景色や色を美しいと思う心があり、自在に絵を描ける手がある。
聾学校で、施設で、ときには原っぱや道端でも私は絵を描き続けた。
週末や長期休暇で実家に帰ると、両親と姉が、家の壁に絵を貼ってくれて、小さな個展を開いてくれた。
近所の人、親戚、友達が集まって笑顔で見てくれる。
いつか画家になりたい、と、私は自然に夢見ていた。
高校生の頃、姉とショッピングモールを歩いていると、パワーストーンの店が目に入った。
大きなアメジストの結晶。
水晶の連なり。
色と形がさまざまな石。
そこで、お店の人が石を加工していた。
削って穴を開け、その細かいカスを捨てていた。
「うー」私は声を出した…と思う。喉が震えたから。
メモに、
<あの石の粉が欲しい>
と書いて、姉に見せた。
<絵の具に混ぜてみたい>
そのメモを手に、姉がお店の人に掛け合ってくれた。
ラピスラズリを夜空に。
翡翠を草に森に。
真珠を、肌や海の輝きに。
珊瑚をその海辺の花に。
オニキスを闇に。
絵はがきほどの作品を、お店に持っていくと、店長さんが喜んで受け取ってくれた。
何度かそんなやり取りをしたあと、
なんとその本社から荷物が届き、加工場で出た石の粉が種類毎に、大量に入っていた。
(一生分あるかも…)
「あ」
これ、きれい…。
私が指でつまんだのは、いびつに割れたアメジストの破片だった。
そのアメジストは、小指の爪の半分くらいの大きさで、絵の具に混ぜたり、水で溶いたりはできない。
けれど、儚く、美しかった。
大切に脱脂綿の上に乗せ、ガラスケースにしまった。
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