織田家の章

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話を戰に戻しますが、決戦の二日前の五月十七日、義元は沓掛に到着し、翌日の夕刻に大高城に兵糧を搬入しました。この時の逸話として、信長は直ちに軍議を開き、この席で林秀貞は清洲籠城を勧め、信長がこの案を蹴って出陣するというものがありますが、これはおそらく創作話にすぎないでしょう。 籠城するという事は前線の砦の兵を見殺しにするという事であり、戰の初期段階で籠城などしてしまえば兵の士気も低下し、今川方に寝返る兵が続出してしまうし、前線の砦には織田一族も詰めていたようです。林秀貞は後に失却させられるので、信長の勇敢さを際立たせる為にこのような話の題材に利用されたのでしょう。 さて合戦当日、義元が沓掛城を出たとの情報を入手した信長は清洲城を出て善照寺砦に向かいますが、砦へ向かう途中、鷲津・丸根の両砦から煙が上がっているのを見て、落ちている事を確認しています。 信長は善照寺砦に入りますが、この善照寺砦は一番大きな砦であったようで、兵力集結に利用され、地理的に見ると今川方の鳴海城と丘続きになっていたようで、その間隔は数百メートルしかなく、さらに善照寺砦からは中嶋砦が丸見えであったようで、鷲津・丸根砦があった丘も見えていたようです。 つまり、今川方は丸根・鷲津砦をおとしていたので信長、義元共に互いの行動は丸分かりであり、通説で言われているように信長が行動を隠蔽しつつ善照寺砦に入ったとは考えにくくなります。 さて、昼前には信長は戦場に到着していましたが、この時義元はどうしていたかと言うと、桶狭間で休息をとっていました。ただし、この桶狭間という土地は一般的に言われているように窪地ではなく、
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