アイツは紳士じゃない。

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 薄汚れたブロック塀に囲まれた三階建てのマンションという過剰評価の建物。 一階部から三階部まで三戸づつの住居になっていて、どの部屋も埋まっている。 一階のワンフロアには、白髪で背中の曲がった老婆の家主が一人暮らしをしている。 そして、山崎エリナの住む二階の201には、真面目そうでいかにも草食系男子といった感じの大学生。 203には、打って変わって二十歳半ばのチャラチャラした男。 そいつが最近、女子高生ぐらいの娘を決まって毎週日曜日に連れ込んでいる。 汚らわしい奴と山崎エリナは思っていた。 三階には四十代の小太りのおっさんと、山崎エリナと歳の近い職業不明の男に、神経質そうなおばさん。 そういった程の認識はあるが、深くは知らない。  住人同士の交流は殆どなかった。  入り口付近のゴミ捨て場の隣には花壇があり、今は花の落ちた紫陽花が植わっている。 道路に面するように設けられた階段を登り、202と書かれた扉の先が山崎エリナと峰岸ケンジの愛の巣である。    山崎エリナは闇と嘘、そして欲で創られた世界と、愛に満ち溢れる聖なる1DKとを隔てる扉の前に立った。  小さなバッグからプーさんのキーホルダーの付いた鍵を取り出し、鍵穴へスルスルと挿入した。 すると、自然と熱い吐息が漏れ出す。 もうすぐケンジに会える。そう思うだけで胸がとろける。  鍵を回すと、ガチャリと音が鳴った。 ドアノブを指で愛撫するように握り締め右に捻ると、トクリトクリと心拍数が上昇してゆく。  ドアが開かれると外気とは違った空気が流れ出る。 嗅ぎ慣れた香水と煙草の混ざり合った匂いが嗅覚をくすぐり、駆け抜けていった。  山崎エリナは、そこに峰岸ケンジを感じた。    視界の先は暗闇が広がっている。 鍵を靴箱の上に置き、山崎エリナはパンプスを脱ぎながらドアに鍵を掛けた。 壁をなぞり玄関の電気を探し、パチリと点けると、数回の点滅の後に、蛍光灯の明かりが広がった。    小さな声で、ただいまと囁く山崎エリナに迎え入れる声は無い。  こじんまりとした玄関を見渡すと、大きさの違う色違いのクロックスが二セット並んでいる。 黄色は山崎エリナのクロックス。 紺色は峰岸ケンジのクロックス。  普段、峰岸ケンジが外出する場合はクロックスを穿いている。 しかし、今日はクロックスは玄関に並んだまま。 その代わりに、純白のエアフォースワンが消えていた。
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