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――そして、拓ちゃんが退院する数日前。
私の家に向井さんから、電話があった。
病院側の意向としては、退院後も自然に記憶が戻るまでは、拓ちゃんは私との接触は避けた方がいい、ということだった。
拓ちゃんの記憶が戻らないまま私と接触することによって、
拓ちゃんは思い出せない記憶があることを痛感し、精神的に追いつめられ、そして混乱してしまうのではないか…。
向井さん達病院側は、そのことを心配しているのだ。
辛そうに声のトーンを落として、向井さんが私に頼んできた。
「……勝手なことを言ってることは、充分わかっています。
けれども…彼のことを思うなら……どうか聞き入れてはもらえませんでしょうか…」
「……はい…分かりました……お約束、します……」
私は向井さんと、2つの約束を交わした。
1つは、私から拓ちゃんに接触しないこと。
もう1つは、拓ちゃんが日本に戻ってから、もしも頻繁に顔を合わせるようなことになっても、
拓ちゃんと私が恋人同士だったことは、拓ちゃんが思い出さない限り隠していること。
―――大好きな拓ちゃんを、苦しめたくなくて。
私は、胸が切り裂けるような思いで、病院側の要望を受け入れたのだった。
拓ちゃんはもう、私を思い出さないかもしれない。
拓ちゃんが私と過ごした時間も、
互いに惹かれあう思いも、
今は拓ちゃんの記憶の、ずっと、ずっと奥深くに、埋もれてしまっていた。
* * *
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