0人が本棚に入れています
本棚に追加
その辺りに中間テストがあり、その時にはもう腸に回って、溜まっていたのであろう空気のせいで激しい腹痛に教われてテスト所じゃありませんでした。
正確には、おならを我慢し、腸が引き裂かれそうな痛みに襲われた…という感じでした。
試験監督の先生が私の異変に気づき、保健室受験させてくれましたが、後半の方はトイレから出られない状況でした。
その辺りで最初に病院に行った日から1週間経ち、薬が切れてまた病院に行きました。
今度は祖母に付いてきてもらいました。
総合病院だったため前の医者とは違いました。
その医者は最初の人よりまだ知識はあったらしくレントゲンを取りました。
胃と腸にガスが大量にたまっていました。
医者も初めて見るようなレントゲンの映像だったらしく「どうしたんだろうな(笑)」みたいな反応をされ、一応ガス抜きの薬を渡され、また1週間様子見になりました。
両親にレントゲンに映ったガスの事を話すと「汚い」と爆笑されました。
分かってくれない親に腹をたて自傷もしました。
でも、直に親は笑い事じゃない事に気付く事になります。
私はどんどん体調は悪くなる一方で胃の空気のせいで空腹の感覚もなく、ご飯も食べれなくなりました。
流石に呑気な母も普通の胃痛じゃないと焦りだし、学校を休みその総合病院の胃腸内科に行きました。
その医者に言われたのは「もし次来た時に悪化していたら入院」と言う言葉でした。
最初は『過敏症胃腸症候群』と言われました。
ですが二回目に行った時、入院したらそれでストレスになるかもしれないと言われ、入院は逃れたもののその時上記と違う病名を言われました。
『呑気症』
この時、この病気がなんなのかわかりませんでした。
正直過敏症胃腸症候群との違いもわかりませんでした。
分かったことは医者に言われた
「治療薬はありません」って言葉の意味。
治らない。
呑気症と分かったのは大晦日前。
もっと早く親が病院に連れていってくれたら…なんて責めたけど何も解決しないことはわかってました。
元々私は大人しく、親に反抗なんて出来なかったし直接自分の気持ちを言えませんでした。
でも誰かを責めないと辛くてどうにかなりそうでした。
これから終わりの見えない地獄が始まりました。
最初のコメントを投稿しよう!