私とあなたと思考と学習

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そうであるからしてそう人から聞いたからという 決めつけ、自分勝手な思い込み、無責任な判断、嫌味、協力、行動 は失礼であるからして、もっとも良くないことであると思う それでは自分自身がそうされたからそう言われたからそうすればいいのであろうか そうではないだろう簡単に人の思考、思いを鵜呑みにしないことが適切な判断である 仮にそうであったとしてもそういう人なんだ どんな考えしているのかな、どうすればいいかな、というように 嫌いは嫌いであってもその人の考え、思考、状況があるわけであるから そこまで人のことなんか考えてらんないよ、考えたって同じだよではなく その希望は行動してみてからの話であると思う よかったかよくなかったかは 居てみなくてはやってみなくては言ってみなくては 周りが思っているように案外その人は思っていないこともあるのであるから 本当にわからないことだらけである 良かったか悪かったかは自分自身が決めることであって 人が決めることじゃないから どう思っているかは聞いてみなくてはわからないことだらけである だから話さなくてはわからないこともあるのだが 嫌いだから、面倒だから、自分自身に不利益なことが起こるであろうから といった自分中心な議題はあまりよくないと思う 私は真似をするということが嫌いである もし、自分自身が真似をしていないとしても 周りから真似をしていると思われれば一緒のことである と私は思う だからといって全てが全て真似されて嫌な思いをするわけではない 人の良いところは真似をしてもいいと私は思う 人は人の真似から入るものなのだから ただし、これはその本人ではなく 私が思案、思考、考えたものだと言う私のものだ という偽りに偽った思いが嫌いなだけである
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