序章

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暖かな五月晴れのある日の昼下がり。 とある公園の巨大な楡の樹の根元に座る一人の少女がいた。 少女の名は 聖 葉月(ヒジリ ハヅキ)。 生後まもなく、この近くにあるサンテレーゼ孤児院の門前に捨てられていた。 朝の清掃に出てきたシスターに見つけられ、そのままここに引き取られる事になった。 捨てられていたのが8月8日だったので、『葉月』と名付けられた。 姓が不明な子供には、この孤児院共通の姓である『聖』が与えられる。 それで、少女は『聖 葉月』という名になったのだ。 誕生日は8月8日とされた。 捨てられてから、14年と9カ月。 もうじき、15歳になるこの少女は、腰まである黒褐色の髪を緩やかにねじり、その先を薄緑色のリボンで結わえている。 白く細い首に、金の鎖に通された七宝細工のようなエメラルド色のペンダントが下がっている。 このペンダントにはアルファベットと幾何学模様が複雑に絡み合ったような不思議な文様が描かれていた。 葉月が捨てられていた時に着ていた産着の横に添えられていた物らしい。 両親や親戚を探す手掛かりになるかもしれないので、いつも身に付けているようにと、シスターから言われていた。 少女は欧米人の血でも混じっているのか、色白で彫りの深い顔立ちで、濃い睫毛に縁取られた夢見がちな大きな瞳は、頭上に広がる青い空と流れ行く白い雲に向けられていた。 膝の上には読みかけの厚いハードカバーの本が広げられ、何か楽しい事でも思い出しているのか、少女の口元には、うっすらと笑みがうかんでいる。 少女はどのくらい、そうして空を眺めていただろうか....。 不意に青い空がざわめくように色を深くすると、少女の首に掛けられたペンダントが緑銀色の強い光を放ち始め、その光が少女の体全体を包んだ。 緑銀色の光に包まれた少女の体がふわりと浮き上がり、寄りかかっていた楡の樹の大きく広がった深緑色の梢がきらきらと緑銀色に輝き出した。 高く浮かび上がった少女の体は、その緑銀色の光の中に溶け込むように消えていった。 辺りは、何事も無かったかのように、平常に戻っていた。 青く高い空には白い雲が浮かび、公園の芝生は優しく吹くかぜに微かにそよいでいる。 楡の樹の梢は太陽の光に輝き、何処かで小鳥の囀ずる声がする。 ただ、公園の楡の樹の根元には、少女が読んでいた広げられた本だけが残されてた。
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