七月の花嫁

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一気に、現実の世界へ引き戻された。 その美しい装いの顔を穢すソレ、が あたしの心を激しく揺さぶる。 ソレは、胃の中にある水を抜く為に取り付けられた、医療用のチューブ。 母は、ステージ4。 大腸の末期ガン患者だった。 『恐らく六月一杯持つかどうかの命です』 「……」 『……』 あたしの頭の中は いつかのこんな 担当医師とのやり取りでいっぱいだった。 今日、明日をも知れぬ そんな儚い命。 もしも本当にこの世に 神様と言う存在が居るのなら あたしはきっと そんな人間の作り上げた偶像を 赦すことはないだろう。 「…っ」 でもそんなことよりあたしは そんな儚い命を持つ母の 『詩織のウェディングドレス姿見たいね』 『早く詩織の孫、ママに見せてね』 たった二つの願いを 叶えてやれない己の無力さを 呪うばかりだった。 豪奢なフリルの付いた 真白なドレスの裾を揺らし 白のピンヒールが絨毯を踏む。 あたしは真っ直ぐ 母の元へ歩いていた。 泣きそうになるのを必死にこらえ やっとの思いで母を見据える。 今も昔も 人の目を見つめるのは苦手だ。 だってこうするとほら 「おかあ…ママ 詩織のこと、生んでくれて」 あたしの心の中全部 「詩織のこと生んでくれて、あ、あっ」 全部見えてしまいそうだから。 「ありがとう、ございましたっ!! こうしてパパとママの子に生まれて 一洋と出逢えて、 あたし、あたし世界一幸せな娘で…っ、う、ううっ」 不意に肩の上に 温かな感触が宿る。 「うわあああーん!」 もうその後は 何がなんだか分からなかった。 振り返らなくたって 両の肩に降りた二つの感触が 誰の物か分かったから。 『泣いてもいいんだよ』 人が人生に一度だけ使える 「ひっく…うっ」 『綺麗、すごく素敵』 優しい魔法を。 「あたし、ここに一洋とのこど、もっ…で、出来たんだよ?」 それを『嘘』とは 『!』 誰にも、呼ぶことはそう 『…早く孫の顔見せてね』 ―ママがちゃんと 子供の面倒を見れる内に― 出来ないのだから。 「うん、うんっ」 ―俺には伝えられなかったから それが言えた詩織が羨ましいよ お前は十分親孝行な娘だよ― 「絶対に、約束っ!」 今日はきっと 世界で一番優しい風の吹いた 新緑眩しい七月六日。 Fin
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