遊泳空想

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かける言葉が見つからず、俺も黙って庭を眺めた。 「お父さん!」 しばらくすると、スニーカーを履いている女が走ってきた。 庭を眺め続ける爺さんの隣まで来る。 「お父さん、一人で出歩く時は声をかけてって言ったじゃないの」 おそらく30代後半だ。 この爺さんが父親なら。 「帰ろう。電車がなくならないうちに」 爺さんは一切女のことを見ない。 しかめっ面でぼうぼうに草が伸びきった庭を見つめていた。 「お父さん……」 困ったような、呆れたような声で女は爺さんを呼んだ。 「そんなに帰りたいなら、一人で帰れ。この町で死ぬと決めた。それだけは譲らん」 頑として動かない。 そんな様子の爺さんだった。 「……でもね、お父さん、お父さん今は元気だけど、持病があるじゃない。 それに、一緒に住んでくれたら、子供も喜ぶし。 ……帰りましょうよ」 「勝手なこと言うな! あいつが、あいつが死ぬ時見れなかった景色をわしは最期に見る!! あいつの気に入ってた、向日葵を、花を、この目に焼き付けて死ぬ!」 いきなり、爺さんは怒鳴り付けた。 女を真っ直ぐ睨み付けて。 「……あいつは、それが出来なかったからな」 今度はしおれた花のように、元気なく言った。 「お父さん……」 悲しげな声で女は爺さんを呼んだ。 「おまえは帰れ。孫の飯の用意があるだろう。 わしの荷物は急がなくてもいい。そのうち、届けてくれ」 「……そう。じゃあ……ね」 女は何度かこっちを振り返っていたが、爺さんは一度も女を見ることはなかった。 「おまえも、行け。行くところがあるんだろう? 引き留めてすまなかった」 「……失礼、します」 俺は、爺さんに頭を軽く下げて、女を追った。
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