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「お前程の者が、バランスを崩す、足を滑らす、などということはあるまい」
しかもそのまま落ちるなど。
それはこれまで貴人を見てきた青龍の、確信だ。
絶対に、それはない。
青龍の言葉に貴人は反論しなかった。しても無駄だと思っているのだろう。……知られていると、理解しているのだろう。
「鳥が居た。そちらに手を伸ばした、それは事実だろうがな」
まさかと。
答えたそれが、二つ目の嘘。
「――飛び立ちたかった、わけではありません」
静かに、貴人が言葉を紡ぐ。
「ただ、……空を」
羽を広げ飛ぶその姿が――羨ましかった。美しいと、思った。
「空を、飛びたいなと。思ってしまったんです」
莫迦ですね、とまた貴人は微笑う。
その微笑に、青龍は思わず手を伸ばした。
「青龍様?」
ぽかんと、珍しい表情の貴人に向けて口端を少し上げると、くしゃくしゃと貴人の髪をかきまぜる。触り心地はとても良い。
黙ってされるがままになりながら、やがて少しの後、貴人はくすくすと笑いだした。
今までに見たことのない、楽しそうな笑い顔だった。
飛び立ちたかったわけではないと、貴人は言った。……だが、広がる空に羨望を抱いたのは事実だろう。
貴人は泣くことも怒ることもない。子供らしい処は一切ない。
それは貴人が、自分に課せられているものを充分以上に理解しているからだ。
重責も期待も、全てを理解し、義務と責任を自らに課している。そう成れるように自分を戒め、そう成るように自分を律している。
それは、どれ程に重いものだろうか。
余人ならばその重責に押し潰されても仕方がない程にそれは、重い、重いもの。
貴人は頭が良い。だからこそ、自分の立場を正確に理解した上でその道を進むことを受け入れた。受け入れた以上は、『そうであるべき自分』を逸脱してはならないと、強靭な精神力で歩き進んでいる。
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