野望症候群

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「気付くことができればそれは進歩です。人の身である限り、その情念を捨て去ることは極めて困難なのですから」  不意に、ジャンピエーロが足を止め周囲を見回した。釣られたようにクラリスの視線が巡る。 「事実、結果的に『野望』の感染を免れた人々は『窓』を失いました。わたくしもその一人です」  通路の幅と高さは一般的な住居とは比べものにならないほど大きく、装飾と相まってここが宮城の類であることをうかがわせる。ジャンピエーロが顧みた道程にはやはり窓が無く、所々にコンクリートで壁面を埋めた形跡があった。 「物質的であれ概念的であれ、生活における『窓』から感染する『野望』……恐らく、今世紀最悪の精神的インフルエンザとなるでしょう」  野望症候群。  社会学者であり人類学者でもある、世界的な精神科医が命名した衝動の感染症。発症した『患者』は希望に満ち溢れ、自身の本望である分野において頂点を目指す上昇志向を持ち、他者と同様の扱いにアレルギーを起こす。本人に自覚は無く、本症に罹患していない第三者のみが発症を察知できる。 「彼等ないし彼女等は、最早『普通』であることの価値が理解できないのです」  ドクターは、各国の首脳に病理をそう説明した。それを聞いた首脳陣は総じて脅威の実感を持つことができなかったが、その後まもなく自国の経済危機によって学ぶことになる。社会の一部として機能していた、あるいはこれから機能していくはずの国民達が一斉に役割を放棄し、独立した才能を目指し始めたためだ。 「野望症候群の実態調査は困難を極めました。昨日まで地道な職務に従事していたスタッフがいつの間にか発症しているというケースが多発し、現場は混乱の坩堝に叩き落とされたのです。しかし、着実な蓄積の果てに発症起序が判明しました」 「それが『窓』でごさいましょうか?」 「そう。外界との関わり、即ち『窓』です」  発症の発端となる『野望』の感染は、他者との円滑なコミュニケーションによって起きるとされる。逆に、性格的な素因や器質的な障害によって意志疎通が苦手な人々には、症例が確認されないと報告された。また、窓の無い独房に囚監されている禁固刑の受刑者にも同様である。疑わしい桁に上る健常な『患者』達が浮世離れして往く中、孤立した人々が地に足の着いた生産活動を担った。 「当初は『窓』の有無が搾取する側とされる側を分けていました」
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