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「ほのひはんはらはんほはなるか」(訳:この時間なら何とかなるか)
パンにかじりつきながら、もう日本語にすら聞こえない呟きと共に家を出る。
がちゃりとドアを開けると、見慣れた景色にどこか違和感があった。
玄関の先にはブロック塀に挟まれた道路が広がり、その上に天を突くような電柱が一定の間隔で立ち並ぶ。
陸が今まで過ごしてきた16年間で少しも変わっていない、いつもの風景。
「…………?」
夏特有の熱がこもった温くどんよりとした空気が、さらに粘度を増して絡みつくような感覚を持って陸の身体を包み込む。
大気が身体にへばり付いてくる感覚を振り払うように、陸はドアの鍵を閉めるとセミの鳴き声をBGMに全力で走り出した。
そんな、よくある夏の朝が過ぎていく。
コンクリートのブロック塀で一軒ごとに区切られた住宅街を走り抜ける。
家を出た時には嫌でも耳に入ってきたセミの鳴き声が、徐々にそのボリュームを落としていた。
そして、通学路も中程にまで達した時。
辺りで音を発するものは、陸が履いている靴と肩に提げたカバンだけになっていた。
「不気味だなぁ……」
陸が立ち止まると、水を打ったような静けさが夏の住宅街に訪れる。
電柱、誰かの家から伸びている木、電線――。
陸はそれらに視線を向けるが、セミはおろか小鳥の一匹すら見付けることは出来なかった。
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