一章

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「だから結局、その『影浪士』ってのはどういう連中なんだよ?」 そう言いながら、新吉は駒を将棋盤に打ち付けた。乾いた音が響き渡る。 「だから、そういう徒党を組んでる浪人連中がいるって噂があるんだよ」 対戦相手である徳兵衛は、新吉の一手に腕を組んで考え込んでいる。 魚屋の新吉と、呉服屋の番頭である徳兵衛は、もう三十年来の付き合いである。三日に一度はこうして、徳兵衛の家で将棋盤を囲みながら、世間話をするのが通例であった。そして、今日の話題はと言えば、今から約一月前に起こった幕府と影浪士との戦の話題である。もっとも、双方合わせて二千名以上の死者が出たその戦は、この二人のみならず民衆の間で持ちきりの話題だった。ただ、新吉は世俗に疎く、この事件について詳しくない。それで、博識な徳兵衛に解説を頼んでいるという次第であった。 「何でもー」 と、徳兵衛が続ける。 「全国各地で一揆やら打ち壊しやら強訴を繰り返しているらしい・・・」 「何だよそれ」 新吉が憮然とつぶやいた。 「それじゃあ、ただの野盗じゃねえか」 そう言いながら新吉は駒を操る。勝負はまだ序盤、二人はじっくりと手を進めている。 「ところがな、金品の略奪は一切しないらしいんだ。勿論、女を襲ったりもしない。それに、無抵抗の者には一切危害を加えないんだとよ」 「そうなのかー」 しかし、新吉は気にした様子もなく徳兵衛を追い詰めていた。 「そいつら一体何が目的なんだろうな」 「さあな。ただ、恐ろしく腕の立つ奴ばかりらしい。この前の一揆にしたって、犠牲者は幕府側の方が多かったって話だ」 新吉が目を丸くする。 「へー!そういつはすげえな。そいつら、いつか藩の一つでも潰しちまうんじゃねえか」 「何を物騒な話をしてるんですか?」 二人の会話に割って入る声がある。二人は揃って声のした方に顔を向けた。そこには若い娘が立っていた。年の頃は十代後半から二十代前半くらい、身に着けている赤い着物と、結い上げた髪に差されたかんざしはそれほど高価なものではないが、その美貌を十分に引き出している。手には二つの湯飲みを乗せた丸い盆を持っていた。 「お、お夕ちゃん、ありがとよ」 新吉が笑みを浮かべながらそう言った。しかし、夕と呼ばれたその女はそれに応えることもなく、黙って二人に茶の入った湯呑を差し出す。
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