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「うん。とりあえずこれまでの人生で困ったことはない。友達にからかわれたくらい。っていうかそれを言うなら聖歌もだよね」
もう隔てるもののない純粋な瞳が私の肌を注視する。白皙というより、不健康に生白いだけに思える自分の肌。身が竦むのがわかった。品定めでもされているようでプレッシャーが圧し掛かる。相手が相手なだけに、その緊張は顕著だった。
「私はただインドアなだけだから」
軽く身を引くと、その反応を気に入ったらしいルナがにじり寄って来た。
「ちょっと」
「んー?」
口元に浮かぶ笑みの妖しさによほど危険を感じる。自分の、ではない。彼女の無垢は暴力的だ。こうして距離を詰めることに、私がどれだけの葛藤を抱えるのかを知らない。罪なき暴力を責められるほど私は強くもなければ、意図がないからと割り切れるほどの器もなかった。
我が家のソファーはそれなりに大きいと自負する。が、限界だ。気儘な猫が闊歩するのにソファーはあまりに狭すぎる。
「照れる聖歌は希少だね」
彼女の指先が頬に触れた。私はとうとう顔を逸らし、手のひらを向けてやわく拒む。
「離れて」
許される限りの冷たさで言い放つと、ルナは愉快そうに声を出して笑った。私は少しも笑えない。律儀に二十センチほどの距離を置いて「どうぞ」と勝ち誇った様子で言う。
「聖歌って変なとこ恥ずかしがるよねー。写真も嫌いなんだっけ?」
「あなたは容赦なく撮るけどね」
「バレないタイミングで撮ってるじゃん」
「それ盗撮って言うんじゃなかった?」
彼女は自由だ。その奔放さに一喜一憂しだしたのは、果たしていつ頃からだったろう。
ふと落ちた沈黙になんとはなしに時計を見た。扉のすぐ隣でありありと存在を主張する掛け時計。もうすぐ四時半を示す。小学校に上がる直前からの父子家庭、父の帰りは遅く、そうなれば無論のこと家には私一人きりだ。それを知るルナは週に三回は家に訪れる。私は全く頓着していないのだけれど、もしかしたら同情してくれているのかもしれない。彼女の口からは「居心地がいいから」という簡潔な言葉しか出てこないからその真意は勘繰れない。連絡も無しに現われたり、泊まっていくと駄々をこねたりする度に、私がどれだけ取り乱すと思っているのか。
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